オルタナティヴ・アートの時代
K.ArtMaket は、加藤慶さんにより 1995 年 6 月 4 日に誕生する。この地域では先駆的な役割に
なる。場所は名古屋市南区呼続の旧東海道が走る閑静な住宅街にある。元々、彼の父親で画家・
名古屋造形大学のデザインの教授であった加藤松雄先生の自宅・離れを自ら改装し「リノベー
ション」して作られたオルタナティブなスペースである。 日本では、60 〜 70 年代の現代美術
シーンでの貸画廊の一部や、舞台芸術や映像上映の小規模な劇場やスタジオが海外のオルタナ
ティヴ・スペースのような役割も持っていたとも言える。かつて自分らも中区長者町にオールタ
ナィブなスペースを作った「8 号室」、ただ字義通りのものは大方 80 年代以降になる。 1980
年代の地域主義の時代、「おらが村にも芸術」をという事で各地に公立の美術館・博物館が建設
された。しかし、その中身は近代美術の海外からの焼き直しで、高価な有名作家作品を購入する
という一点豪華主義だった。多くの学芸員は海外、とりわけ欧米の美術作品しか興味もなく、地
域や地方の作家については無関心であった。教育機関である美術大学の教育の在り方に問題があ
る。1991 年 3 月から 1993 年 10 月からの景気後退は経済だけでなく文化にも後退を余儀なく
させた。いわゆる「バブル崩壊」は美術館行政にも多くの課題を残した。それは金のかかる美術
館や博物館の箱もの行政に終焉を迎えた。その一方で野外美術展や地域を巻き込んだ美術展が開
催されるようになり、「越後妻里トリエンナーレ」から始まり、「あいちトリエンナーレ」などが
開催される。ただこれは一方で作家やキューレターなどのやる気搾取の温床にもなったようだ。
芸術分野で従来使われてきた美術館や劇場などの正式な施設や場所以外の表現を意味し、オルタ
ナティヴ・スペースは、美術だけでなく、 展示、舞台、演奏、会議、イベントなど様々な目的で
使用されている。施設としては、使われなくなった倉庫、校舎、工場、店舗、事務所、家屋など
を利用している場合が多いのも特徴である。また運営では、非営利で、NPO など地域に根ざし
たものが多い。内容も、実験的なもの、新しいが未発達な表現の促進、福祉など社会的なテーマ
を持ったものなどが中心である。旧来の組織や制度では扱われにくい課題をオルタナティブに(伝
統的なやり方に代わる新しい手法)取り組んでいる。 彼のオルタナティヴ・スペースは、発表
活動だけでなく、作品の商品化に伴う販売、鑑賞、コレクターの発掘など多義に渡り、それが一
般の市民にも好感を得ているようだ。最近の「アール・ブリュット」などの関心も日常的に続け
られた加藤慶さんの人柄や人物に寄る。