ハイデッガー・形而上学とは何か

ハイデガー、「形而上学とは何か」、読み終えました。論考の難しさに、読み進めるの難航しましたが、印象に残った言葉、
感想を書いてみたい思います。 まず「自身の存在に関する考察は、人間特有のもの。動物は、本能のみに従い、そんな考察
はしない。」とのこと。また、自身を認識思索できるのが人間で、人間である所以だと思いました。

時間と存在に関する考察 
難しくて、あまり理解できませんでしたが、僕は、時間とは、現代人の幻想なのだと思う。時間とは無く、現在があり続ける
だけだと思う。

無に関する考察 
すべてを無から創造したというのなら、神は「無」なのか?我々人間は、考えたりする生き物だから「有」なのか?「無」とは
幻想か?無に関して、彼は、キリスト教に言及しているが、十字架、クロス、交わりの瞬間は、「無」「∞」。十字架は、「ク
ロス」だが、「無」「∞」すなわち「神」を表現しているのか?

形而上学とは「無」を考えるもの、「問う」もの。また「超えるもの」とのこと。
形而上学は「現存在における根本生起であり、現存在そのものである」とのこと。

形而上学は人間そのものへの思考であり、自分自身の存在への問いそのものだと感じた。

「何故一体存在事物があって、却って無ではないのか?」

何故「無」は「存在しない」いのに、「無」への思索が存在するのか?

僕の感想
ハイデッガーの論考、思索を読んだが、これは、一種の「詩」のように感じた。
また、これは僕の考えだが、真理とは、深い思索で理解できるものではなく「感じるもの」であると思うのです。

「考えるな、感じろ!」ブルースリー

ただ、真実への考察は、いつの時代も変わらぬ大切な学問だとも思います。


 

2022年6月24日


加藤 K記