私の宗教観
われわれ人間世界には、大小さまざまな宗教がある。
大きな影響力のある宗教は、それだけ、普遍的な「何か」により深く根ざし、時間的にも、空間的に
も大きな影響力を及ぼしてきた。
どんな宗教でも、信仰の最終目的は、「真実」「正義」「愛」などと呼ばれるこの世の究極的存在に
人間を導こうという教えだと思う。
こういった例えをした人がいる。
「どんな宗教でも、川のように存在し、最終的には、同じ海へ行き着く」
なるほどと思った。
この地上の信仰は、人間世界から、はるか高い霊的領域へ導く聖人によって、宗教という形によって、
人から人へ、時代を越えて伝えられた。
私は、基本的に、お金儲けでなく、人々をポジティブな方向へ導こうという宗教は、全て肯定する。
ただ、信仰の違いや、宗派の違いが原因で、人々が争うのは、宗教の本質的目的からは、
本末転倒した人間の愚行だと思う。
地上には、さまざまな種類の「花」が在る。さまざまな宗教も、同じように「花」のような形で存在して
いるのだと思う。
種類が違った花でも、みな、同じ「水」「日光」を必要とする。
同じように、違った宗教でも、「愛」「真実」「正義」などという、同じ要素から成り立っており
それぞれが尊いのでは?
僕は、特定の信仰を持っているわけではないが、人々を「愛」「真実」「正義」に導く宗教ならば、
すべて肯定するし、そういった宗教全ての信者でもある。
この、我々の住む世界には、中心に「愛」「真実」「正義」といった、尊い「何か」が存在していると
思う。この「何か」を、人々は連綿と「哲学」し「科学的に研究し」「宗教的に」直感、信仰してきた。
私の生まれた「日本」には、「やおいよろず」という考え方があり、山や、木、森他すべてに「精霊」は
宿るというアニミズム的考え方で、神社には、己を映す「鏡」が置いてあるだけである。
「あなたも神なんだよ」といわれている様な気がする。
平成24年10月3日
加藤K記