現時点の死生観

                                 


昔、妻の親戚のお葬式に出席した時、お坊さんが法話で「故人は、こうして、人は苦しみを
経て亡くなってくものだと教えているのです」と。自分は、もし自分が亡くなるときは、で
きるだけ苦しまず、愛に包まれて穏やかにあの世に向かいたいと思っているがどうだろう?
また、他人の死と、自分の死との違いは、自分の場合、自分が当事者で、客観的に見ること
ができない、ということである。お釈迦様は、死後を語らなかったそうだが。ある人は、死
は通過点で死後の世界が続くと思って生きる場合と、死んだらすべて無になると思って生き
る生き方では、生前の生き方に大きな違いがでてくると言われた。死を考えることは、決し
てネガティブな事ではなく、より積極的に生きる姿勢だと思っている。また、ある人は、様
々な宗教が生まれるのは、人はいつか死ぬ、ということがあるからであると言われた。自分
も、何時か旅立たねばならぬ存在なので、生きている間はできるだけ楽しく、他人のために
努力して、生きて旅立ちたいと思うのだが、。また、今は故人となってしまった他人の芸術
に、生きる勇気を頂くことがある。自分も、画家のはしくれとして、自分の創った作品が

しでも後世の人々の生きる力になればと思って、日々制作している。



2023年12月5日

加藤 K記