絵を描くとはどういうことか、自分はなぜ絵を描くのか?

考えてみると、自分は宇宙が始まった頃からの連綿と続く存在、また遺伝の最先端の存在である。自分の中に
は宇宙や生命の生まれた頃の記憶が脈々と残っている。自分が、絵を描くときは、意識と無意識を行ったり来
たりして制作する。自分は、絵を描くとき、なにかを考えながら描く、というよりなにかを感じながら描く方
が好きだと以前からお話ししている。では、何を感じながら描くかというと、多分時間軸で言うと、前述の太
古の記憶を直感しながら描く。また、空間軸で言うと、この宇宙に中心があるとすると、その中心からのシグ
ナルを受信しながら描く。僕にとって、絵を描くと言うことは、この様な、記憶や信号を、ラジオの様に受信
して、絵として翻訳する行為だといえる。また、自分にとって絵を描く、というのは、箱庭療法的な面があり、
生きていて、空白の部分を埋めてくれるのが制作である。自分の存在を確かめる。絵を描くことによって、自
分とは何者か?ということが立ち現れてくる。自分は、最近は、専ら抽象画制作が制作の中心だが、そこに
描き出されるイメージには、何かが介在しているように思う。ただ出鱈目に描いているのではなく、真剣に描
いていると、何枚か描きあがって、そこに共通する「何か」を感じる。若い頃のドローイングよりも、50代
現在の作品の方が、抽象画の場合、その「何か」が、よりもスムーズに立ち現れる。ちょうど、書道
の大家の
一筆が、それまで書いてきた書の厚みが凝縮されている線になっているのに近いかもしれない。描き続けるこ
とにより、信号を受信する感度が良くなる、と言ったところだろうか?
先ほど述べた「何か」とは、ジャンル
を超えて存在する。音楽でも、文学でも、料理でも、どんな芸術でも、その道を究めた芸術家の作品には、共
通する「何か」が存在する。だから、一つの道を究めた表現者は、他ジャンルの「何か」も自ずとわかる。
ジャ
ズを究めたミュージシャンは、たとえば絵画作品を観たとき、そこに「何か」があるかないかは、直ぐに
判るのではないだろうか?
初めの「なぜ絵を描くか」という命題に戻ると、自分の場合、これまで述べてきた
「何か」を、他者と共感、共有したくて「描く」のだと思う。自分の描く抽象画から、鑑賞者の方に「何か」を
感じていただき、共感していただくと非常に嬉しい。

 
 

2023年2月11日

加藤 K記