「現代美術」と呼ばれる美術について

よく、「現代美術作家」とか「現代美術ゼミ」とかいう言葉を耳に
する。では、いったい、この言葉のさす美術とは、どんな美術なの
だろう?「現代」のさす範囲が、いつからいつなのか?

抽象表現主義、ポップアート、ネオダダ等、のアメリカ美術が
「現代美術」なのか?はたまた、21世紀にはいった、
「現在」のスタイルの美術が「現代美術」なのか?僕は、この「現
代美術」という言葉のもつあいまいさがいつも気になっていた。

写真機が生まれた印象派の頃も、その頃の美術界にとって、それは
花形の「現代美術」だったろうし、抽象画が生まれたころのカンデ
ィンスキーのオートマチズムな美術も、その頃の時代には、新しい
絵画のあり方を提示したラジカルな「現代美術」だったろう。

ぼくは、現在の美術界で使われている「現代美術」という美術は、
なにかの主義や、流派ではないと捉えている。「現代美術派」なん
てものはない。

また、「現代美術」と呼ばれているモノのルーツは、19世紀末の
ヨーロッパにおける、新古典主義、ロマン主義、写実主義などの
デッサンを基本とした、「写真」の様に再現する絵画から、外界
を「絵画」というものをとおして、画家の内面性、光、色、時間
性を表現しはじめた印象派辺りから始まったと言われる。

結局、古くはローマ、ギリシャ、近代・現代では、ヨーロッパ、
パリ-アメリカ、ニューヨークを終点とする、主に白人による美術
が世界の美術の様に語られる。

しかし、美術はそれだけか?

例えば、中国、インド、アラブ、アジア、アフリカ、南米、他、人
が「モノを創る、描く」という行為は、もっと太古より、人類の歴
史の始まりと同時に連綿と続けられてきた。
また、それらの美術は、時間的にみても、「現代美術」とよばれて
いる美術とは、比べものにならない歴史的深みがある。

僕が、どんな芸術、 「パフォーマンス」「インスタレーション」
「映像芸術」等今風の表現だろうが、古いスタイルの表現だろうが
それを鑑賞する時に大事な物差にしているのは、その作品ないし表
現が、その個人の独創性において、人間のもつ普遍的な「何か」に
どれだけ深く到達しているかという所である。

「現代美術」だから、「最新のスタイル」だから過去の美術より全て
が優れているという錯角は、安易で危険な捉え方の様な気がする。

2006年1月7日 加藤 慶記