便利なモノ

ここ、工業国日本には、最新のテクノロジーによる、「便利なモノ」が溢れている。

携帯電話、パソコン、DVDなど、本当に便利な文明の利器である。

しかし、僕が最近、この「便利なモノ」に囲まれた生活をしていて感じる事は、「
ちょっと、便利すぎて、ついていけない」ってことである。携帯電話をみても、ホン
ト、多彩な機能が溢れている。しかし、それを全て使いこなしている人は、何人いる
のだろうか?これらの機械は、一人の人間が、生理的に使いこなせる便利さの範囲を
越えはじめていないか?

ひとつ前の世代の、ビデオや、カセットテレコ、FAXなんかは、まだ少なからずとも
人間味のあった機械だったような気がするのは、古い人間のたわごとだろうか?

他方で、現在、地球上には、「電気」すら通っていなくて、へたすると、その日の「
食べ物」すらない人々がいる。いや、そういった人々が、地球上の人口の割合からい
ってほとんどである。

この、テクノロジーの面でも、国、地域的な不平等を感じずにはおれないのです。

僕も、多くの、「便利なモノ」のモデルチェンジをしてきた人間の一人なんだけど、
いつも、最新の物を手に入れると同時に古い型の機械の処分する時に、ある種、罪の
意識を感じていました。

テクノロジーの進化、研究を否定しているわけではないんです。それらの努力は、人
類に、はかり知れない恩恵を与えてきました。

僕が言いたいのは、それらの恩恵は、世界の人、全てに平等に与えられるべきではな
いか?ということです。

我々の、普段当たり前のように使っている最新の電気器機は、ラジオすら買えない、
貧しい国の人々の努力、労働によって出来ている事を忘れてはならないのだと思いま
す。

最新のモデルを使う事は、とても便利だし、それを研究、開発の努力をした国の人々
が使う事に関しては、否定はしない。

しかし、モデルチェンジして捨てられたり、リサイクルの為、解体される機械も、貧
しい国の人々にとっては、夢のような機械かもしれません。

せめて、そういった物が、うまく世界に行き渡ればな、なんて思うんです。

2005年12月30日 加藤 慶 記